「プルースト、1907年7月1日のコンサート」(テオティム・ラングロワ・ド・スワルテ(vn)、タンギ・ド・ヴィリアンクール(p)) [室内楽]
ハイドン「弦楽四重奏曲第57番-62番『第1トスト』作品54&55(全6曲)」(ロンドン・ハイドン四重奏団) [室内楽]
Innovators(バルトーク第2番、ベートーヴェン「セリオーソ」、ラベル)(ベンユーネス四重奏団) [室内楽]
ハイドン「弦楽四重奏曲第31番-36番『太陽』作品20(全6曲)」(ウルブリヒ四重奏団) [室内楽]
ハイドン「弦楽四重奏曲第37番-42番『ロシア』作品33(全6曲)」(アイブラー四重奏団) [室内楽]
ハイドン「弦楽四重奏曲第75番-80番『エルデーディ』作品76(全6曲)」(ドーリック弦楽四重奏団) [室内楽]
ハイドン「弦楽四重奏曲第44番-49番『プロシア』作品50(全6曲)」(ツァイーデ四重奏団) [室内楽]
フランク、R.シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ」(デュメイ(vn)、ロルティー(pf)) [室内楽]
ベートーベン「弦楽四重奏曲第15番、16番」(ペンデレッキ弦楽四重奏団) [室内楽]
ベートーベンの弦楽四重奏曲第13、14、15番のうち、最初に作曲されたのはこの第15番だ。全5楽章のうち第3楽章が、病から回復した者の神への感謝の歌、というような副題が付けられ、比較的よく知られる。私も後期弦楽四重奏の中では、この曲に一番馴染がある。ペンデレッキ弦楽四重奏団は、ポーランドのペンデレッキ室内楽コンクールでペンデレッキ賞を獲得し、カナダ・オンタリオを本拠としている団体。名前からしてベートーベン?と思ったが、頑健な構成感で違和感なく後期ベートーベンの世界を描き出す。作曲家ペンデレッキも、日本で第9を指揮しているほどで、共感するところがあるのかも知れない。力感あふれる4つの楽器がぶつかり合うアンサンブルは、この団体の実力の高さを示していて聴きものだ。録音は極上。[MARQUIS]
ベートーベン「弦楽四重奏曲第12番、第14番」(ブレンターノ弦楽四重奏団) [室内楽]
ベートーベンの弦楽四重奏曲は、初期6曲、中期5曲はどれも傑作であり、大好きだ。しかし後期5曲(ないし6曲)となると、どうだろう?後期には、交響曲第9番や後期3大ピアノ・ソナタのような素晴らしい作品もあるが、深淵そうな弦楽四重奏曲は敬遠してきた。ただその中でも12番は、変ホ長調という調性もあって、普通のベートーベンらしさが窺えて比較的に聴きやすい。中心となるのは、やはり変奏曲で書かれた緩徐楽章(第2楽章)だ。ブレンターノ弦楽四重奏団は、1992年結成の米国の団体で、プリンストン大学のレジデント(常駐団体)。 響きや音楽作りに明るさを持ち、各奏者の技術、音色が良く揃っている。[aeon]
ベートーベン「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調」(スメタナ四重奏団) [室内楽]
第14番は、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲5曲(大フーガを入れると6曲)の中で最高作とされる作品だ。 全7楽章からなり、短い楽章がつなぎのような役割をはたして、全体は切れ目なしに演奏される。構成の完成度は、かなり印象的だ。中心となるのは、晩年の作品によく見られる、変奏曲で書かれた緩徐楽章(第4楽章)。親しげで明るさを持ち、全体にメランコリックなこの曲の救いだ。後期弦楽四重奏曲について言われる、「我々にはそこに何かがあるのは分かるが、何であるかは分からない」という言葉は、この曲に一番当てはまる。旋律は難解ではないが、感動未満であり、不思議な雰囲気を持った曲だ。スメタナ四重奏団は、日本では特に人気のあった団体で、イルジー・ノバークの明るくてよく歌う第1バイオリンが魅力。[DENON]
[付記]
練馬区が主催する「五味康祐のオーディオで聴くレコードコンサート」というイベントに行ってきた。石神井公園ふるさと文化館分室で定期的に開かれているものだ。曲はオール・ベートーベンで、中心はこの嬰ハ短調の四重奏曲作品131だった。五味氏は大のクラシック・ファンで、随筆「天の聲-西方の音」では、通夜にかける音楽についてこう語っている。「さてそんな私がただ1曲を選ぶとなれば、迷った末にこの作品131を採るのは、要するに人は皆いじらしく切ないことをこの年になって悟ったからで、悟る以前の悪行のくさぐさをゆるされたいねがいもこもっている。」そこにある何か、とは、「死を目前に控えた人間の悔悟」だろうか?
ベートーベン「ピアノ三重奏曲第7番『大公』」他(バイオリン:D.オイストラフ、ピアノ:L.オボーリン、チェロ:S.クヌシェビツキー) [室内楽]
村上春樹の「色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年」に感銘を受けたので、海外で評判のいいという「海辺のカフカ」を読んでみた。そこでクラシックを聴いたことのないトラックの運転手が興味を持つのがこの曲だ。ベートーベンというのも、「大公」というのも意外な感じがする。ただし、そこでの演奏は百万ドルトリオ(ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フォイアマン)で、かなり力の入った神がかった雰囲気を持っているから、幻想的な小説の雰囲気にマッチしてるかもしれない。この負けないほどに名手を集めた演奏は、かなり淡々としていて、この曲が後期ベートーベンへの入り口に立っていることを感じさせる。ここで中心となっているのはオボーリンで、磨かれた音色によるロシアの美音奏法が聴きものだ(それは、後のアシュケナージに見事に受け継がれている)。[EMI]
ドボルザーク「弦楽四重奏曲第13番、第12番“アメリカ”」(パベル・ハース四重奏団) [室内楽]
若い世代の弦楽四重奏団の中でも、ヨーロッパでひときわ評価の高いチェコの団体による、ドボルザーク。ビオラとチェロが男性、バイオリン2人が女性という組み合わせは意外に珍しく、あまり他に思い当たらない。 最も印象に残るのがチェロで、豪放にして細心、表現力、情感において傑出していて、音楽全体を引っ張っている。ビオラも、きちんと弾こうという姿勢が、誠実さを感じさせる。この2人に比べると、女性2人のバイオリンは技術的には達者だが、個性は前面に出てこない。女性上位が多い世の中で、この男性上位とも言える演奏は、しっかりした安定感がありむしろ新鮮だ。一方では、4人の呼吸が合っていて、チームワークを楽しんでいるような雰囲気が、若々しくてとてもいいと思う。2011年度英誌グラモフォン年間最優秀賞に輝いた。[Supraphone]
モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」から(Pentaèdre:木管五重奏) [室内楽]
レーベルから判断するとフランス系カナダ人の木管五重奏団による「コシ・ファン・トゥッテ」のハイライト。フランス系の管楽合奏を楽しむCDで、その意味では大変魅力的に仕上がっている。2つのスピーカーの間に、左から、オーボエ、フルート、クラリネット、ホルン、バスーンと定位する。オーボエは、独墺系のチャルメラのような音色とは違い非常に柔らかくて上品だ。紅一点のフルートは、より表情にメリハリがあって音楽をひっぱる。メロディーは主としてこの2つの楽器が受け持つが、クラリネットが最もオペラ的な雰囲気を持っている。ホルン、バスーンも良く、全体に上品な音楽作りはドイツ系ともイタリア系とも違い、リラックスした上質な時間を過ごすことが出来る。[ATMA classique]
モーツァルト「フルート四重奏曲(全4曲)」(エマニュエル・パユ:フルート、クリストフ・ポッペン:バイオリン他) [室内楽]
パユは、オーボエのアルブレヒト・マイヤーと並んで、現在のベルリン・フィルの木管の顔と言っていい。フランス語圏スイスの出身で、フランスとドイツの文化的接点に位置する人だ。名前からフランス系と思って華麗な演奏を想像すると決してそうではなく、緻密さも重厚さも兼ね備えた、非常にしっかりした演奏をする。ベルリン・フィルは女人禁制が解けて女性奏者が目立ってきたが、音色もフルトヴェングラー、カラヤンの時代の緊迫したゲルマン的な感じが薄れ、国際的でいくらかふっくらとしてきたと思うが、依然として非常に緻密で正確、しっかりしたところは、パユの役割も大きいだろう。このフルート四重奏曲でも、カチッとした構成感で聴かせる立派な演奏。ただ私としては、もう少し心が癒されるような、スキのある演奏にも惹かれるところがある。[EMI]
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ(フルート四重奏版)」(ヴォルフガング・シュルツ:フルート、ウィーン・フィルハーモニア弦楽三重奏団) [室内楽]
ウィーン・フィルというのは、シュルツなのだ。私たちがウィーン・フィルという時にイメージするオケの音色は、シュルツのフルートの音色とぴったりと重なり合う。 共に、柔らかく、内に豪華さを秘め、音楽が弾むように前へ前へと進み、やがて聴くものは無上の幸福感に満たされる。技巧も、音楽性も、何もかもがトップ・クラスだ。ここではシュルツとウィーン・フィルのメンバーとの共演で、十八番のモーツァルトのオペラからのナンバーを演奏している。弦がやや控えめなのは、各パートのトップではないからか、あるいはシュルツを立ててからだろうか。その代わり、名旋律の数々をシュルツのフルートでたっぷりと聴くことが出来る。1970年から首席を勤めてきたシュルツも、今季で引退という。ウィーン・フィルの音色がどのように変わるのか、それはそれでまた楽しみでもある。[camerata]