SSブログ

映画「TAR(ター)」<ネタバレ> [映画]


アカデミー賞6部門にノミネートされたという、音楽に関連した映画。ターという女性がベルリン・フィルの首席指揮者にまで上り詰めるが、重圧にさらされ最後は…という映画。

面白く見たが、この映画、いくつかの点が気になった。ベルリン・フィルは名前は出て来るが実際に登場しているのはドレスデン・フィルだそうだ。ではなぜ名前を貸したのか?多くの指揮者の実名が挙がるが、それらのエピソードはどれも真実だ。それでも映画全体はフィクション?女性指揮者の話だが、君臨するタイプで女性のハンディは全く感じられない?ベルリン・フィルを退いたのちに指揮するのはアジアのオーケストラとのゲーム音楽って、どういう意味?

私には、この主人公は映画で不思議と触れられない帝王カラヤンと完全に重なる。主人公はロシアのチェロ奏者を無理やりソロ奏者にするが、カラヤンも女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを無理に入団させようとして楽団員との間に軋轢が生じた(この問題は最後まで尾を引く)。主人公はマーラーの5番の初のライブ録音に取り組むという設定だが、カラヤンもマーラーの9番の前例のないライブ録音の遺産を残した。主人公は最後はベルリン・フィルとは辞任とも解任とも不明だが、カラヤンも同様の幕切れだった。ベルリン・フィルとの間が険悪になってからウィーン・フィル(ウィーン国立歌劇場管弦楽団と実質的に同一)を振ることが多くなるが、オペラをゲームになぞらえたとも見える。さらに言えば、「Tar」という不思議な名前、「Kar(ayan)」の一字違いだ。

カラヤンとベルリン・フィルとの間に何があったのかは、詳しくは公には語られないが、映画という形で残そうとしたのだろうか。影の主人公はベルリン・フィルで、影のメッセージは「もう帝王はいらない」と言うことかもしれない。
指揮者と言うのは随分と権威がありそうに見えて、所詮はオーケストラの雇われ人だ。巨匠の時代と言われたLPの時と比べて、CDになってから指揮者はタレントのようになった。「デジタル・コンサート・ホール」のように配信が前面に出ると、主役はむしろオーケストラだ。
カラヤンを継いだアバドやラトルは民主的でもちろん悪くはなかったが、全盛時代を築いたとは言えない。帝王カラヤンを経験したオーケストラと、世界のオーケストラを知った消費者は、指揮者とオーケストラの関係を違った目でもっとビジネスライクに見ている。その意味で、「TAR」は一時代を画した映画かも知れない。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。