ヴェルディ「椿姫」(スコット、ブルソン、クラウス、ムーティ指揮フィルハーモニア管) [オペラ]
ロンバーグ 喜歌劇「学生王子」(抜粋)(ジョン・エドワーズ指揮フィルハーモニア管弦楽団、レンダール、ヒル=スミス、ベイリー他) [オペラ]
ロンバーグ 喜歌劇「学生王子」(ジョン・マウチェリ指揮ケルン放送管弦楽団・合唱団、ヴォルティヒ、ペーターゼン他) [オペラ]
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ジョルダン指揮バイロイト祝祭管、フォレ、シュヴァーネヴィルムス他) [オペラ]
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(V.ヤノフスキ指揮ロンドン・フィル、フィンレイ、ガブラー他) [オペラ]
ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ヴァイグレ指揮バイロイト祝祭管、フォークト、フォレ他) [オペラ]
(付論)
このBDには広瀬大介さんの、権威に帰ったザックスの演説を敢えて空虚に響かせたのが演出意図か、と解説が付いている。根拠があってのことだろうが、全く理解できない。私には、神聖ローマ帝国、さらには悪夢の第三帝国を超えて、なお生き続けるドイツ中世以来の音楽文化を素直に讃えたように聞こえる。登場する作曲家で最も意味があるのはワーグナー自身で、トップレスの女性たち(ナチス?)によってさんざん持ち上げられたバカ騒ぎの残物を、ザックスは全て燃やしてしまう。廃墟から現在まで来たドイツは自信を持ち始めている。今さらの自己否定ではなく、自己肯定こそがこの演出の意図するところと思う。
モーツァルト 「魔笛」(マーク・アルブレヒト指揮オランダ室内管弦楽団他) [オペラ]
モーツァルト 「魔笛」(コンスタンティノス・カリディス指揮ウィーン・フィル他) [オペラ]
モーツァルト 「魔笛」(ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団他) [オペラ]
ガーシュウィン:歌劇「ポーギーとベス」(サンフランシスコ歌劇場ライブ、指揮ジョン・ドメイン他)) [オペラ]
ベッリーニ: 歌劇「ノルマ」(マチェラータ歌劇場ライブ)(ミケーレ・ガンバ指揮、マリア・ホセ・シーリ(S)他) [オペラ]
ワーグナー「タンホイザー」(2014年バイロイト音楽祭ライブ) [オペラ]
プッチーニ「トスカ」(全曲)(カラス、ベルゴンツイ、ゴッビ他、プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団) [オペラ]
ビゼー「カルメン」(全曲)(カラス、ゲッダ、プレートル指揮パリ・オペラ座管弦楽団) [オペラ]
カラスのカルメン。とにかく、カラスの声楽的な完璧さにひたすら圧倒される演奏だ。プロの歌手というのは技術的には一定の水準を誰もがクリアしているのだろうけど、ここでのカラスの音程、リズムの正確さは、それらと比べても一桁違うというほどのものだ。それに加えて、声の音色が一音一音変化し、喉が完全にコントロールされていることが分かる。ベル・カント歌手がロマンチック・オペラを歌っていること、ソプラノがメゾ・ソプラノの役を歌っていることなどを考えると、ますます驚異的だ。ジプシーの踊り、ハバネラなどどの歌も何度聴き返しても、ドキドキする。昔はカラスの魅力は分からなかった。妖艶さが魅力なのだろうかと思ったりもした。今はこれだけの技巧を努力によって得たこのソプラノに対して、尊敬の念を禁じ得ない。[EMI]
ワーグナー「ワルキューレ」(マイヤ、シュテンメ、オニール他、バレンボイム指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団) [オペラ]
ミラノ・スカラ座の「指輪」には因縁がある。ここで描かれる神々の世界がハプスブルク家を想起させるとすれば、ミラノのあるロンバルディア地方は1861年のイタリア統一まで事実上オーストリア帝国に属していたのであり、ハプスブルク家の統治下にあった。そうでなくともこの公演のレベルの高さは、聴衆の素晴らしさとともに感慨がある。バレンボイムは、いまや世界最高のワーグナー指揮者の一人でこの音楽ドラマを隅々まで理解しており、光を駆使したギー・カシアスの演出も出色だ。ワトソン、トムリンソン、シュテンメなどの歌手陣も豪華絢爛たる歌唱を聴かせる。スカラ座管弦楽団の力強さ、迫力は、団員の緊張した表情とともに、イタリアのオケのイメージを覆すものだ。オーストリア帝国文化圏のウィーンが第一級のイタリア・オペラを聴かせるように、スカラ座もまた第一級のワーグナーを聴かせる。[NHK Video]
チャイコフスキー 歌劇「エフゲニー・オネーギン(全曲)」(フレーニレ(S)他、レヴァイン指揮ドレスデン国立歌劇場管) [オペラ]
チャイコフスキーの名作オペラの1987年録音の名演奏。 まずもって、隅々まで血が通って生命感に溢れるレヴァインの指揮が素晴らしい。メトロポリタン以外でもこのような名演をすることに、この指揮者の才能を改めて感じる。そしてドレスデン歌劇場のオケの素晴らしく美しい弦楽器と、一人一人がソリスト並みの自発性をもって躍動する木管楽器の素晴らしさ。この作品に対する共感が伝わってくるような演奏だ。歌手では、フレーニの伸び伸びして情感のこもった声がいい。この時期としては色艶があって、高い表現力と相まって何の不満も感じない。この作品はロシア物と言っても、洗練された西欧文化を体現し、何度聴いても違和感なく作品に溶け込めて飽きない。[DG]
ザ・オペラ・プラットフォーム [オペラ]
Netflixで映画が、Google Musicで音楽が自由に見たり聞いたり出来るようになった。ベルリン・フィルの演奏会も鑑賞できる。それで、オペラもネットで見れないかと思ったら、あった。それも無料で全曲がHD品質で楽しめる。それが、theoperaplatformというサイトだ。期限付きだが、数本の中から選べる。現在公開中のものは、「エフゲニ・オネーギン」「マクベス」「パルシファル」など8本だ。(うち1本は残念ながら日本では見れない。YouTubeでもかなりのオペラ全曲がHD品質で見れる)。オペラの上演は随分とお金がかかっていると思うが、なぜタダで見れるのかは分からない。ヨーロッパのそうそうたるオペラハウスがこのサイトに参加している。オペラの普及のためとしたら、ファンにとって有り難いサイトだ。
プッチーニ:「ラ・ボエーム」(リカルド・シャイー指揮、バレンシア歌劇場での2012年のライブ) [オペラ]
バレンシアはスペイン第3の都市で、そこの歌劇場はCDではまず聴かれないが、BL(ブルーレイ)による映像で目にすることが出来るようになったのはオペラ・ファンとしては嬉しい。内容も、どれをとっても水準が高く楽しめる。この公演は、まず指揮のシャイーだろう。いつものようにメリハリが効いていて、明るくて快活でエネルギッシュ。イタリア人らしく、どのアリア・場面でも、強靭なカンタービレが聴きものだ。音楽は湿っぽくならないが、演出は情感が豊かで、マルチェッロのキャンバスとシンクロして背景に印象派の絵が次々に現れ、最後はほろっとさせる。歌手はよく知らないが、ロドルフォのアキレス・マチャドは声がよく伸びていて「冷たい手を」は聴きものだ。ミミのギャル・ジェイムズは、嫌みのない雰囲気と歌唱で好まれるだろう。日本語字幕が付いている。[accentus music]
ラベル「子供と魔法」(全曲)(レナード、SKF松本合唱団・児童合唱団、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ) [オペラ]
グラミー賞受賞で話題になったが、小澤征爾の最高の演奏では?と思えるほどに素晴らしい。まずはオケで、最初の木管からその自発性、音楽性に一瞬にして魅せられる。このオケは、団員名簿に竹澤恭子や岩崎洸の名がさりげなく含まれているように、ソリストを集めたような団体だが、それが指揮者のもとに一体となっている。核となっているのは桐朋学園で教えた故斎藤秀雄の弟子たちで、鍛えられた技術と、技術を生かした自発性を特徴として、そのスタイルは日本の演奏史に一時代を築いた(桐朋の名は最近はあまり聞かないなあ)。小澤征爾の指揮は、自発性、躍動感に加えて、いつまでも失われない若々しさ、瑞々しさが魅力だ。[DECCA]
ベルディ「トロバトーレ」(全曲)(ベルゴンツィ、コッソット、バスティアニーニ、セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団、合唱団) [オペラ]
1962年録音、戦後のミラノ・スカラ座を代表する名盤の一つ。これを買ったのは、ルーナ伯爵を歌うバスティアニーニを聴きたかったからだ。この往年の名バリトンは、歌唱に唯一無二とも言える貴族的な格調と高貴さがあり、2幕のアリア「君の微笑み」は、とても敵役とは思えないほどに胸に迫って来る。つくづく歌唱人生を全うできなかったことが残念だ。コッソットは声楽的に完璧、その近代的な歌唱は、大時代的なシミオナートとは対照的だが、硬質で張りのある声質が素晴らしい。そして全体を引き締めているのは、もちろんセラフィンのぴたりと型にはまった指揮だ。自由奔放なシッパース盤とは対照的で、イタリアオペラの伝統に根ざして、その醍醐味を伝える。[DG]